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くろいしの日記 by しまか

kuroishino.exblog.jp

25年

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阪神大震災から25年

あの頃はまだインターネットは一部でしか
使われておらず、携帯電話も普及しておらず、
私もテレビ画面に釘付けになってしまうしかなかったことを昨日の事のように思い出されます。

25年も経っているのですね。

個人的に、あの大震災が契機になったことも
いくつかあり、25年続いている習慣や考え方の変化がありました。

当初は今のように官民問わず防災意識が高いとは言えず、あんなに大変な災害があっても被災地以外では対岸の火事だったのではないかと思います。

我が家は代々沿岸、本当に海のそばに住んでいたこともあり親戚が集まる度に、明治チリ昭和と何度も起きた津波の話をしていて、子供の頃は「またこの話...」と思っていたものですが、
おかげで内陸に移り住んでからも地震と津波が直結した「無意識」が染み付いていました。

それでも阪神大震災で画面を通してとは言え目の当たりにしてから更に自然への恐れは増し、「防災」を日常から深く考えるようになりました。

あれから、災害は減るどころか年々増しているようにも感じます。

何かが起きた時に団結して立ち向かう、
何かが起きた時に発奮して乗り越える、

「何かが起きた時」は考え、反省し、改良し、
動き出す...それも必要なことではありますが、
ここまで自然災害の多い国に生活している私達は、「何かが起きた時に」では遅いのではないかと思います。

東日本大震災の直後、幹線道路に面した当店の前の道路でも車の交通量は減り、歩く人の交通量が増えました。

エネルギー消費を抑え、いつ供給があるかも分からない様々な物資・資源を節約し、どこに行っても皆が協力し合い、思い合って行動していたように感じました。

喉元を過ぎて忘れることも人間にとっては必要な能力だと思っていますし、ずっと日々を我慢したり暗い面持ちで過ごすのは違うと思いますが、日常から、無駄を省き、物を大切にし、人を思い合い、自然への畏怖を忘れないまま明るく楽しく生活することも可能ですし、そういう社会であれば、それが自然と減災に繋がって行くのではないかと思うのです。

なんて、こ面倒臭い話だと思ったらスミマセン。

今、身近に当たり前のように存在している人も物も自然も、
ずっと当たり前にあるとは限らない、と
皆が思えると良いな、という話でした。

お客様は当たり前にご来店するものではない、と常日頃から思っている売場担当者がブログを借りて失礼いたしました。

また後で追加更新したいと思います。



by shimaka-info | 2020-01-17 11:50 | 雑談 | Trackback | Comments(0)